バンク・システムとは
むかし「鉄腕アトム」というテレビ・アニメの先駆けをつくった手塚治虫は、毎週30分の作品を作るにおいて、バンク・システムという方法を考案したのだった。
バンクは貯蔵か貯めるだ、いまとちがって当時は紙で描きセルでトレスし着彩していたのだ。 作品完成と共にセルは廃棄していたのだが、手塚はバストショット・ウエストショット・アップショット、あるいは歩きショット・飛ぶショット、泣き・笑う、口パクショットなどと再び使うであろうショットのセルを、捨てずに整理しバンクすることを考えたのであった。これがバンク・システムである。
当然私が東映で最初にはじめたテレビ・バージョン「狼少年ケン」でも、このバンク・システムをはじめている。
それはすべてとは言わないが、多くのプロダクションで採用されている。 新しい絵コンテができたらバンク担当係はコンテに見合うショットをバンクから探し出し、背景も見合うものを探して再使用するという方法である。
現在は東京池袋の駅前にある「アニメ東京ステーション」(2023年創設)という展示施設に手塚プロダクションの原画や動画が一部保存展示されているし、一般の人の鑑賞は可能である。
これはスケジュール的経済的にも大きい貢献だったのだ。そのシステムはデジタル化された現在はハードディスクなどで貯蔵し適時笑い・泣きというホルダーから呼び出せるシステムになっている。
AIとバンク・システム
AIの仕組みはこれとほぼ同じではないか、一つ大きく異なるところは、アトムの動きは作品アトムにしか使えないのだが、AIはその動きを別なキャラクターに置き換えることが出来るという点が、画期的なところでありさらに効率的なのである。
ここでの弊害の一つがカットの記号化という問題である。前回牛山純一さんに「アニメは何故カットが短いのか」と聞かれた、あれだ。
記号化のはなし
一般に言われている記号化とは主に表情による記号化を言われるのだが、私が考える記号化とはカットの長さによるところの問題を記号化とみているのだ。
例えば泣いたカットの次は対面する人物のセリフ・カットがあり、次に再び泣いていた人物の表情の異なるカットがつづくというように、短いカット構成が続いていくと、短いカットが一つの単語のようになっていくことなのだ。
くわしく言えば、4秒単位のセリフと画が一単位となり、これが連続することを想像していただきたい。 ワンカット・アニメーターという自虐的な言葉があるのだ。どういうことかと言えば、3〜4秒のアニメはセリフと共に一つのセンテンス動きしか描かれない。つまりその動きはセリフを説明する最小限の動きなのだ。連続して次の動きにつながるわけではない。これを記号化というのだ。
短いカットが連続することによって、カットの繋がりがまるで文章のように独自のメッセージを表すのである。
作者が伝えたいものがよくよく伝わるということがあるのだが、半面オーディエンス(見る・聞く人)にその空気感や考えること、判断する余地を許さない。言い方はきついが一方的な説教を聞くに等しくなるのだ。
単語は記号でありそれ自体に感情などはない冷たい記号だ。結果として本来表現者が求めるところのリアリティなどとは真逆な現象がおこるのだ。
ワンカット・アニメーター
もう1つあるのはアニメーターの技術力の低下なのだ。これは一カット一アクションという仕事を続けていると、連続する動き(芝居)ができなくなることだ。動きが連続する間合いそのものがリアリティを表現する大事な表現の一つなのだが、こうしたことが出来なくなったことを比喩したのがワンカット・アニメーターと呼んだのだ。
東映アニメーションとは、それ以前に存在した日本動画という会社を買収してできた会社であった。 日本動画こそアニメの草分けの会社なのだ、その伝統はフル・アニメーションのスタイルをもっていた。フル・アニメとは自然主義がベースになっているのだ。
アニメーターたちはその技術をしっかり身につけている人が多かったのだが、テレビ・アニメの仕事を続けることによって、高度な技術が生かされない。 たまに連続する芝居を要求されても技術が答えられないのだ。これをワンカット・アニメーターと呼んだのだ。
今ではそんな言葉さえも消えてしまったのだが、柔道に連続技というものがある。 一つの技をかけて失敗すると次の技を掛けるあいだ、間が空くのはオリンピックなどでもよく観る光景だ。 間髪をおかずに技をくりだすのが連続技だ。これは常日頃から練習していなければとっさには出てこないものだろう。
アニメーションも同じなのだ、ワンカット・アニメーターという言葉は自虐的といったのはそれを言ったのだ。 これがテレビ・アニメの功罪の一つだったのだ。
言葉にないことをAIにどう伝えるのか
ChatGPTとはよくいったものでAIは言葉にできるものはほぼ答えてくれるとして、言葉に出来ないことはいまのところ何もできないのだ。
人のコミュニケーションは言葉にできないことをボディランゲージやジェスチャーによって補足したりあるいは直接顔や体で(肩が語る)語るものが50%とか90%もあるというはなしである。
言葉で説明できないものを言葉以外の方法を見つけ出さなければAIには理解できるはずがないのだ。
AIは現段階ではまだ監督の仕事は出来ないと正直に言っている。将来できるかも知れないと余地を残してもいる。ボディランゲージなどはモーションキャプチャーするならばできるだろうがCGに逆戻りということになる。
キャプチャーした動きはすべてAIのデータになっていくならAIの価値を高めることになるのだから悪いことではないが。
私はAIが皮膚をもたない限りは監督の仕事は永遠にできないだろうことを書いているわけだが、皮膚を持つ人間はAIにできないことは何かというところを見るのが大事なところで、パターンの得意なAIであれば、パターンでは絶対出来ないことを考えるのが大事なところなのだ。
現在のようなテレビにおける朝ドラ・昼ドラ・ゆるドラ・アニドラのようにセリフを中心とし、映像が記号に近づいているならば、AI的ドラマということになり、それはAIの得意分野のはずだからAIに仕事を取られていくところだ。セリフや音声もAIの得意分野の一つなのだからこれも注意が必要だろう。
月岡貞夫